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2009年4月~お見舞い

昨日 母の入院してる病院へみんなで行きました。

『チビ男が数歩あるけるようになったよ』と言うと 『見せて』

歩いた姿を見ながら笑ってました。

母の余命をこないだ聞いた父は、 老け込み元気がなく 弱々しくなっていました。

『ママよりパパの方が危なそうじゃん』と 喝。

私は、ママが入院したときから普段と変わらず接し、自分が泣いたらきっと みんな崩れるからと

一番に最近考えることは、ママだったらこんなとき、こうするだろう。とか、こう言ったらこう言うんだろうなとか・・・

昨日はチビ男チビ子も旦那もいる病室で、私はママの子供に戻り 自分が母親と言う立場を忘れ、甘えました。

幸せでした。


昔 ケンカして 取っ組み合いし 泣きながら向かってきたママや、一緒に買い物にいったときの事、私が嫁に行く日、『バイバイ』と笑顔で見送り、後ろ向いて泣いてた。

旦那とケンカして 『実家帰ろうかな』と言ったら 『バンザイして喜んで迎えてあげるわよ』と言ったママ。

そんなママが大好きです。
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退院 2009年4月緊急入院

昨日、午後 ママが又 救急車で運ばれた。
呼吸が苦しくなったみたい。
家に帰れたのは2日間弱だけだった。

救急車で運ばれ、診察室で父が先生に初めて『余命』を聞いた。

先生は『そう遠くないでしょう』

ママの病室に行ったら呼吸が苦しい・足の裏が気持ち悪いなど 体の不調をあまり言わないママが しきりに言っていた。

私が足をさすり、妹が手をにぎり、『気持ちいい?』と聞くと『気持ちいい』

少しして父が何か買いに行くと病室を出た。
病室でママと私と妹3人になったとき、ママが言った。

『○○ちゃん(私)・・・○○(妹)の事 よろしくね。面倒みてやって支えてやってね。あんたと○○(妹)は私が産んだ子供だから・・・』

妹はボロボロ泣き
私は『何いってんのよ』と答えた。


ママはママなりに残された時間に限りがあることをわかってる。

昨日は、ママの仲良しだった同級生、親戚などに電話をし、会いにきてあげてほしいと伝えた。

夕方、主治医と家族と話しをした。
家族の希望は 苦しみ痛み 精神的な不安を出来る限り取り除く治療をお願いしますと伝えた。

飲む抗がん剤は、ママには体の状態が良くなってきてから再開するからと伝えた。

小児科

朝、チビ男の熱が下がってたので 大丈夫じゃんと思ってたら・・・
夕方に39度

おんぶして小児科行ってきました。

風邪らしく、薬もらって帰宅。
具合い悪いから 寝たりぐずぐずしたりの繰り返し。

生まれてから初めての熱です

チビ子は元気でうるさい・・・

鼻ほじくって鼻血出すくらいで・・・

学校も楽しいみたいで朝6時に起きて、7時くらいからランドセル背負ってテレビ見てます。7じ58ふんまで

で、ハンカチとか忘れます。

幼稚園とは違い毎日私服だから、質より数。290円の長T6枚くらい買ったんで、日替わりで着て・・・

二回くらい着るとさすがにヨレヨレ

また290円の買いに行かないと・・・

退院

今日はママの退院の日。
朝8時半に出発し、9時半頃到着。

その後、旦那と妹が病院に迎えにいき、私とチビ達は家で掃除機かけたり、ベッドに布団セットしたり。

父は昼まで仕事。

10時半過ぎ、2週間ぶりに家に帰ってきました。

『おかえり!』

家に帰って、缶コーヒーぐびぐび飲んで、そばとパスタをチョロっと食べて

朝飲んだ薬の影響で昼くらいはウトウトするらしく、ベッドで横になりました。

しばらくして安心した顔して寝てた

やっぱり家は落ち着くんだよね。

チビ子は、実家の近所の小学生達とかくれんぼしたりして、ずーっと外で遊んでた。
実家に来ても、遊べる友達がいると楽しいよね。

その後、ママの寝てる間に帰ってきました。起きるまで待ちたかったけど、今日は早目に帰ってゆっくりしないとと思い。。。

で、チビ男がかなり前から ぐずぐずしてて 今日 帰ってから熱計ったら・・・
39度。

具合い悪いの気づいてあげれなかった。ごめん。

明日は朝一で小児科行ってきます。

2006年4月~パート9

病院へ行ってきました。その前に実家へ行き、ママが退院してきた時に、ベッドの方が楽と言うことで、ベッドを置くスペースを確保してきました。
ベッドを置く位置には、マッサージ機が置いてあり・・・・これをどかすのが大変。
旦那と二人ヒーヒーいいながら隣の部屋に運びました。

more...

2006年4月~パート8

今日は、入院してからやってきた検査結果と今後の治療の話しを、夕方18時から主治医とするとのこと。

ママが入院してから、2週間。まともに食べれず寝れず・・・
毎日、頭痛薬とドリンク剤のお世話になってました。

夜20時くらいに父から電話。

検査結果は左胸の癌以外、他の臓器や骨に転移は見られない。


左胸の癌が皮膚から飛び出てきて穴があいて体液や出血なども出て更に胸水がたまるとかだと、確実に全身に転移して末期な状態。


なのに、ママは転移がなかった。


主治医も 『こういう状態は今までに前例がない・・・』と首をかしげてたらしく。


これからは飲む抗がん剤で治療を再開するらしい。

2006年4月~パート7

平日はチビ子の学校もあるので、土日に病院へいってます。

孫連れてくと、ギャーギャーうるさいけど笑うんだよね


胸に貯まった水はタンクに目一杯抜け、腕には点滴。 なのでフラフラしながらもトイレなどにはガラガラ引っ張って行きます。

左胸は皮膚から癌細胞が突き出てきてしまい、左脇腹の方まで穴があいて、そこから出血や体液が染みでてきてしまう為、生理用ナプキンなどを当てて処置。ナプキンを止める紙てーぷが皮膚がひきつれるのか痛いみたい。
『もう生理ないのにナプキン大量に毎回買うから、なんだか ヤよね~』と言ってた。

私が『チビ男のオムツかしてあげよか』と言うと。『あら、やめてよ・・・』


ナプキンもオムツも変わりないような感じだけど・・・

2006年4月~パート6

病院に行く電車の中で、色々な事が頭ん中をぐるぐるしてた。

病院に付いて、ママの病室に入って姿を見た時には、胸に貯まった水を抜く為の管と点滴でベッドに寝てました。

体はかなり細くなって、顔色も青白かった。
『どうしたのよ苦しくなったの』 『・・・ん』と意識もなんだか朦朧としてた。

救急車で運ばれる前の、3月21日に実家に遊びに行った時にも具合いは悪そうだった。

遊びにきたのに苦しくて辛い姿を見せたくないって思いがあって、皆がいる横の部屋で一人で目つぶって座ってた。

妹が 『大丈夫』と小さい声で聞いたら 『普通にしてていいからね。わざと小さい声で話さないでいいから。』と 気使ってた。

あの時から、もしかしたらもっと前から 胸水がたまりはじめてたんだと思う。

2006年4月~パート5

うちは自営業だから、時間的には自分の都合で調整できるけど、ママは自分だけが店に出ないってのを、後ろめたく思ってたのかも。
自分の具合いが良い時は店に出てました。

今思うと、無理してたんだよね。

家の事して、店出て、周りに気を使わせないように普通にしてたのかもしれない。

月に一度実家に遊びに行くと、前と変わらず、夕飯大量に作って『あんたんち持って帰んなよ。余ってもうち食べないから』と。


やってもらって当たり前に思ってた事が、今はそんな親が子にしてくれてた事は幸せな事なんだと思う。


今うちのママは4月3日胸に水が3リットルもたまり、夜に呼吸ができなくなり救急車で運ばれました。

胸に貯まった水を抜く為、現在入院してます。

救急車で運ばれた翌日、すぐに病院にかけつけました。

2006年4月~パート4

髪の毛が抜けてから、毛糸の帽子&感染予防のマスク姿が日常

一回目の抗がん剤は、効きがよく、赤く腫れた左胸はみるみる小さくなって、痛みも無くなったよう・・・

『どうなの調子は』が日常挨拶みたいな感じ。『痛みはだいぶ無くなって楽になったよ』と。
その言葉を聞く度、自分の中の不安が少し薄らいだ。


1クール目の抗がん剤が終了するくらいには、髪の毛が抜けてる以外は病気前とあまり変わりは無かったなぁ。

二種類目の抗がん剤がまもなく始まった。

二種類目の抗がん剤も効くものと思ってた。けど 途中から左胸は前みたく赤く腫れ、熱を持ち痛みも出てきたらしい。

『先生に言ったほうがいいよ』と。
次の抗がん剤投与の日に、再び赤くなりだした事を伝えた。

二種類目の抗がん剤は途中で中止。

その後三・四・五種類目と抗がん剤を、2009年3月まで投与。

痛みもあるから、飲み薬の痛み止め(麻薬)を飲み、薬が切れると 耐えがたい痛みがくるみたい。

でも、痛いとか辛いとか苦しいとか 言葉には出さないんだよね。
『痛かったり辛かったりしたら、すぐ言いなよ。言わなきゃわかんないよ』と言っても笑いながら『まぁね』と。

うちは自

2006年4月~パート3

2007年1月の正月明け、少ししてから抗がん剤治療が始まった。

副作用で毛が抜ける。吐き気がでる。などテレビドラマでやってるような知識しかない私は、ママの病気がわかってからパソコンなどで乳癌について、調べ始めた。

早期発見が大事。生存確率 ステージ○だと○年○%

詳しく知りたい気持ちと知りたくない気持ちと、訳のわからない気持ちになる毎日が続いた。

そして抗がん剤治療が始まってから数ヶ月後、ママの髪の毛がぬけはじめた・・

昔、某化粧品会社で美容部員をしていたので、日頃から化粧バッチリ、髪の毛は前髪メッシュ 55歳にしてはキレイにしてる。

そんなママの髪の毛が怖いくらいにパラパラと抜け始めた。

『あんた これ凄いよね~。化物だよね~。』と、冗談まじりでまだらな頭の自分の姿を見ながら言った。


まもなく、毛は全て抜けおちた。
毛糸の帽子や、綿の帽子を実家にいくたび持っていき、 これはかぶりやすいとか これはなんだかキツイわなど 自分の気に入ったのをチョイスしてかぶってた。

2006年4月~パート2

『早めに病院に行って見てもらったほうがいいよ』と何度も何度も言ったけど、『わかってるよ』と・・
今思えば、無理矢理連れて行けばよかった。早めにパパに私から言えばよかった。と後悔ばかり思う。

そして、3年前の11月。左胸の腫れと痛みでママからパパに 言った。

それからまもなく近所の大きい病院で検査。
良性かもしれないし。と私は良い方にしかママから聞いた4月~病院に行く11月までそう信じるようにしてた。
検査結果は 『乳がん リンパ転移あり・手術はできない。抗がん剤治療でいく』

家族みんなで泣いた。
一番不安と恐怖でどうしようもないママの事が心配で、癌という病気の先がわからない闇。真っ暗な出口の見えないトンネルの中に突入したかのような感じ。

抗がん剤治療は年明け1月~開始すると・・

2006年4月~

突然ですが・・
この内容を書くことによって、母と私達家族のことを残しておこうと思いblogに残しておこうと書きました。



●結婚して電車で約一時間の距離に引越してから、チビ子と月に一度2泊3日で実家に泊まりに行くのが恒例。

泊まりに行くとだいたい、お風呂はママ←(いつも通りの呼び名)と一緒に
先に入ってる私の後からママが入ってきて、ふとママの胸を見ると、左の胸が赤くなっててなんだか腫れてるみたいに見えた。
『なにそのおっぱい。なんか腫れてない』と聞くと 『・・ちょっとね~』
『なによ。ちょっとねって。どうしたの』『まぁ ちょっとね』

なかなか濁して言わない。


お風呂に入り少ししてから、『ママさぁ 乳がんかもしれない。でもまだパパにはまだ言わないでよ。自分で言うから』

もう、私の中では頭真っ白。

妹は私が知る3年前の4月より前の年、9月くらいにママから聞いたらしい。案の定、誰にも言うなと・・・

そこから不安との戦いが始まりました。
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